2023/06/06

連載『スポーツ情報って面白い!』⑲/龍と星の雑な話

 昭和、平成の世に漫才や司会で鳴らした上岡龍太郎さんが亡くなった。享年81。新聞、テレビの訃報に添えられた、細面でちょっと気難しそうな上方芸人のこの顔をじぃーっと見ていると、何とも早口で達者な毒舌がよみがえる。「なるほど、そんな見方があるのか」。その物言いにすべて同意することはできなかったが、ポンポンと自分の意見を言う空間を作っていく様子には舌を巻いた。
 
 『鶴瓶・上岡パペポTV』(朝日放送)『探偵!ナイトスクープ』(読売テレビ)『EXテレビ』(日本テレビ、読売テレビ)…。あまたの人気番組で披露された「上岡節」に通底するのは雑談の妙であった。友達同士がまるで肩寄せ合って話しながら歩いていくような、あるいは喫茶店で議論しているような、それとも電車で隣り合わせて世間話をするような、そんな感じで重たいテーマでもしっかり自分の考えや思いを率直に語っていた。都度、隣にいたり真向いにいたりした者は「あんたがそういう意見なら俺はこう思う」と話はますます広がり、双方のしゃべくりはやがて話芸の豊穣なる世界へと導かれていく。
 

心と心が通い合い信頼が生まれる

 
 メディアの報道取材を領域とするゼミから何人か新聞社へ巣立った。
先ごろ、記者になった卒業生が遊びに来てしきりに愚痴をこぼす。「話題のニュースがなかなか拾えない。特ダネもとれない。どうしたらいいのだろう」と。
 さて困った。当方、もともと新聞記者だったとはいえ特ダネには縁の薄かった身だけに適切なアドバイスなどできようはずもない。
 
 かつて先輩や後輩、あるいは同業他社に特ダネ記者と呼ばれる者たちがいた。彼らの仕事ぶりを思い浮かべると、共通するのはおしなべて雑談がうまかった。相手と掛け合い、いつの間にか意見を引き出している。絶妙だった。取材相手は記者に気を許してか、そのうちさまざまな相談までしているかのようだった。知らぬ間に情報が集まっている、そんな感じだったと記憶する。
 
 自分には到底まねできないものだった。雑談する能力が著しく欠けていたのである。いつも目をギラギラさせて「肝心なことを早く教えて」と言わんばかりに結論を急ぐ。そういうやり方で処理本数をこなし、ただただいびつな自信を得て得意げに鼻を膨らませていたのだろう。
 
 目的から大きく外れて関係のないことを、ああでもないこうでもないととりとめもなく話していくことが雑談なら、人はまず相手との利害を取り除くことが必要ではないか。心と心が通い合ってようやく「信頼」は生まれる。有益な内容ばかりを求めても、どうってことない、結局は目先の小さな収穫物しか得られない。
 
 思い出す言葉がある。上岡さんと同様に昭和、平成の時代を駆け、やはり先日鬼籍に入ったハードボイルド作家、原尞さん(享年76)のデビュー作『そして夜は甦る』(早川書房)から引く。<謙虚さと傲慢さがしのぎを削っているような>。人は聞く耳を持たなくてはならないが、ときに押しの強さも出さないと真実にはたどり着けない。ひたすら雑談ばかりをしていてはただ流されて藻くずのごとく消えていくばかりである。要するに雑談と本論の按配は意識しなければいけない。
 
 

コロナ禍で忘れつつあるコミュニケーション

 
 効率を優先する世の流れが加速している。コロナ禍はオンラインによるコミュニケーションの在り方を提示し、それは社会に一気に普及し浸透したかのようである。どこもかしこも「オンラインで会議」「きょうはリモートで」という風潮で、もはや雑談の効能を説くなんて時代遅れで馬鹿げているのかもしれない。
 
 しかし、世間を渡り歩いていくとき、人との交わりはどうしても避けられないし、マニュアルに沿った形で「こんにちは」「きょうの本題」「それではまた今度」と繰り返してばかりいたら実に味気ない空間を生きているような気がする。
 
 だからこそ他人とは違うやり方を考えたい。取材相手と新たな関係を築くためには、回り道をしてもいいから無駄なことをいっぱい話してみてはどうか。そこから思いもよらぬきっかけをつかみ、それが何かとつながらないとも限らない。時間はかかっても目指す山頂へ必ずや登れる。
 
 これはどこか学びにも通じる。成果を得るために近道はなく、むしろ遠回りをした方が得する場合もある。多少の疲労感は伴うかもしれないが、代わりに褒美としていろいろな景色をまぶたの裏に刻める。ゆくゆくはその経験が人を感性豊かなものに成長させてくれる。
 
 思い切って話し掛けてみよう。言葉を継いでいこう。「きょうはいい天気。山がくっきり見える」とか「新聞に書いてあったニュース、今後どうなるのか気になる」とか何でもいい。もしも「街角でうまい店を見つけた」と言ったら「おっ、どこだ、その店」と早速情報をせがまれるかもしれない。だから、ひたすら自分を磨く。本を読み、街を歩き、笑って怒って感動して。
 

しょうもないこと、きょうもブツクサと

 
 担う授業科目『文章基礎(演習)』『スポーツ取材・報道演習A』『同実習Ⅰ』のほかゼミでよく話すことがある。

 「文章を書くなら読むことを、取材するなら準備することを大切に」
 
 いわゆる仕込む面白さを説く。勉強もそうだが、普段の生活で課題を抱えたとき、事と次第によってはむしろじっくり対処した方が首尾はいい場合がある。例えば人からいろいろな話を聞き、あるいは参考文献にたくさん当たって調べる。そうすると、それまで頭の中で何やらごちゃごちゃと混乱していたものが一本の線でつながる。「なるほど、そうだったのか」と合点がいく安堵感ほど身を安らげるものはないではないか。
  何かを表現するとか、取材するとか、そういう行為はたぶん、この遠回りすることを求めている。そう思えば、どこか気が楽になる。
 <気張らんとまあぼちぼちにいきまひょか 田辺聖子>(『男と女は、ぼちぼち』朝日新書)
 
 つらつらと、しょうもないことを、ブツクサ書いてしまった。

 上岡さんが逝き、この数日、なぜか彼が慕った立川談志さん(2011年没)、三代目桂米朝さん(15年没)の顔が浮かんでは消える。古今、話芸という夜空にまたたく星々である。
 
<スポーツ情報マスメディア学科 教授 日下三男>
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