2021/09/01

連載『 スポーツ情報って面白い!』②/取材でつながる

 こんにちは。スポーツ情報マスメディア学科でメディアの分野を担当している佐藤修です。
  先月29日、全国高校野球選手権が智辯和歌山の優勝で閉幕しました。つい1か月余り前までグラウンドでボールを追っていた高校3年の皆さんは久しぶりに迎えた観戦する立場だったのではないでしょうか。私は智辯和歌山の中谷仁監督を、懐かしく見守っていました。
 中谷仁監督は智辯和歌山から1997年のドラフトで阪神に2位で指名され入団し、その後楽天、巨人で捕手として活躍しました。私と中谷仁選手との接点は楽天在籍の6年間です。チームにはエース捕手嶋基宏選手がいて出番には恵まれませんでしたが、4年間をともにした野村克也元監督の野球を後輩たちに伝える役目を果たしていたように思います。右打者の外角低めの投球を「原点」と同監督は語っていましたが、中谷捕手も若手の投球練習の際には「ええか、原点やで原点!」と投手の集中力を研ぎ澄まさせるように声を張り上げていました。
 打撃でアピールしなくては一軍に残れない。そう考えた中谷選手は、当時住んでいた仙台のマンションで、夜カーテンを開けて闇夜に映る自身の姿を見ながら、深夜まで素振りをしていたと語ってくれたこともありました。
 そして迎えた2009年のクライマックスシリーズ第二ステージ(当時)の日本ハム1回戦。痛恨の場面が訪れます。8対5。楽天リードで迎えた9回ウラ。投手は抑えの福盛。捕手はこの日スタメンマスクを勝ち取った中谷。しかし1死満塁、打者はスレッジ。その2球目でした。打球は満塁の札幌ドームのレフトスタンドへ。9回ウラ逆転サヨナラ満塁ホームラン。あの1球でシリーズは決したといわれる場面でした。その後中谷捕手にラジオでインタビューをした際「僕はあの時なぜあのサインを出したのか」と悔やんでも悔やみきれない表情で言葉を絞り出した姿が今でも目に焼き付いています。
 あれから12年。甲子園のベンチで選手を見守る表情は、兄貴のように優しい中谷監督に見えました。そしてなによりチームの戦い方に悲壮感がありませんでした。「僕は心配性だから」とベンチでは仁王立ちせず選手に常に話しかけていたそうです。選手に話しかけ続ける。ノムさんみたいだなとその時感じました。出会った指揮官の言葉、多くの失敗を経験した試合、そしてもがき続けた日々。そのすべてがあの甲子園の戦いにつながっているようでした。これから監督としてどうもがき成長するのか。遠くから見守ってゆこうと思います。

 メディアの現場で取材を続け、出会った選手や指揮官。今こうして現場から離れても一つのシーンからつながってくる不思議。スポーツメディアの面白さはこんなところにもあるのです。一緒に学んでみませんか。

佐藤修(さとう おさむ) スポーツ情報マスメディア学科教授
1983~2019年東北放送でスポーツアナウンサー、スポーツ部長を歴任。現在に至る。
 

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